About
Making Sports A Culture
Story
なぜ独立したのか?
「スポーツを文化にする」というミッションを掲げて独立するまでに至った経緯について、代表の飯高の経歴について触れたいと思います。
元々野球が好きで、中学生から高校1年の5月までは野球をしていたのですが、成長痛で肘や膝を痛めて断念しました。
とはいえやることが無いので、バイトでお金を貯めてバイクで日本一周しようと思った矢先、先輩に誘われてホッケーを始めます。
最初は軽い気持ちでしたがやってみると本当に楽しくて、週6、1日4-5時間はホッケーをしていた記憶があります。
しかし結果は伴わず、インターハイ出場はかないませんでした。(補足すると私の高校があった神奈川県には3校しかチームがありませんでした。後輩たちは10年連続でインターハイに出場を続けたことから、私の代は”谷間の世代”と呼ばれることに、、、)
それでも「たくさん練習すれば上手くなるはずだ」と週6、4-5時間の練習は続け、大学時代はメンバーにも恵まれ、関東学生リーグを40年ぶりに優勝、インカレベスト4、社会人選手権5位といった近年に無い成績を残すことができました。
なんでホッケーしてるんだっけ?
しかし、大学3年の11月ごろから就活が始まるタイミングで「なんでホッケーしてるんだっけ?」と思い始めます。
そもそも就職したらホッケーは関係ありません。
ホッケーが上手かろうが、仕事には関係なく、年収が上がるわけでもありません。
迷いを持ちながらでしたが、きっと仕事もホッケーと同じぐらい「熱い気持ちになれるはず」という思いがありました。
そこで「でかい仕事をする」「グローバル」「激務」という3つの軸をもって就活し、住友商事に入社しました。
住友商事では、社内シンクタンクでのリサーチ業務(2年)、インド現地法人での企画・総務業務(2年)、関西での新規業務企画(1年3カ月)を経験しそれなりに充実した日々でしたが、ホッケーほど熱い気持ちで仕事に向き合えませんでした。
また、そういう熱い気持ちをもって仕事をしている人とも出会うことはほとんどありませんでした。
そんなある日、友人と四国旅行に行った帰り道、「これが会社員生活で一番楽しいイベントか」と思った瞬間、このままではダメだ、と強く思い、一番熱くなれたホッケーにもう一度向き合うことになります。
ドイツでホッケー選手に
当時27歳。ホッケー選手としては若くない年齢でした。
どうせ辞めるなら「グローバル」で「でかいこと」をしたい、と思ってドイツの1部リーグに所属するHarvestehuder THCというチームに行くことにしました。
当時のドイツ代表、南ア代表、オーストリア代表の選手がいて、当時の飯高では正に ”手も足も出ない” という表現がぴったりで、3カ月で戦力外通告を受けました。
会社を辞めたのにこれからどうしようという不安、悔しさ、様々な思いがありましたが、一番心に残ったのは、「ドイツの選手は代表選手含め、週3-4、1回2時間しか練習してないのになんで週6、4-5時間練習していた俺が勝てないんだろう?」という疑問でした。
その後、Bundesliga2部のTHK Rissenに移籍することになり、主力としてプレーをすることになりました。
クラブは第3の場所
RissenのGMと話していた時に、「クラブは家庭、職場に次ぐ第3の場所だ」という話をされたことがあります。
5歳から70歳まで、老若男女が1つのクラブハウスに集って会話する姿はまさに「第3の場所」でした。
一方日本はどうでしょうか?
学校を卒業したらグラウンド、チーム共に疎遠になり、「ホッケーは十分やったしいいや」と言ってスポーツから離れてしまう人がほとんどではないでしょうか?
私はそれが当たり前だと思っていましたが、ドイツでは社会人になっても週3-4回、1回2時間程度は練習し、大人もホッケーを楽しんでいました。
ドイツでは、スポーツは生活に欠かせない「文化」として存在していたように思います。
私はそうしたドイツのスポーツのあり方が羨ましく、強く憧れ、「日本のスポーツを文化」にすることが自分のミッションだと信じて、Eisen Holz Linkageを立ち上げました。
代表の経歴
ここでは、代表である飯高悠貴の経歴を年表形式で紹介します。
2013
住友商事入社
慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、住友商事に入社。業界分析、インド駐在(企画、総務)、新規事業開発などを行う
2018
ドイツでホッケー選手に
住友商事を退職し、ドイツブンデスリーガ1部、2部を転戦
Verein(フェライン)という仕組みが強豪国の強さの源泉であることを知る
2022
コンサル転身&THV創設
BayCurrent Consultingに転職。システム要件定義、プロジェクトマネジメントを実践
同時期に社会人ホッケーチームTokyo Hockey Verein(THV)を創設
2024
Eisen Holz Linkage設立
BayCurrent Consultingを退職し、独立
About
Eisen Holz Linkage
会社概要
ドイツで4年弱ホッケー選手として活動しました
競技レベルに関わらず大人が本気でホッケーをしている姿が最高でした
日本でも大人が本気になる場を作ります
ホッケー指導/体験会
トップチーム、未経験者/初心者、中高生向けに指導を行っています。
「高強度」「短時間」「低頻度」トレーニングのメソッドで学業やキャリアを両立しながらパフォーマンス向上を実現しています。
大会運営
補欠がいない中高生向けのリーグ戦を運営します
中高生の公式戦はトーナメント中心で、年間3試合で終わってしまうチームも。
2nd, 3rdチームが出場できるリーグ戦を主催し、スポーツ本来の楽しさを体験できる場を提供します
Webアプリ開発/運営
「スポーツをしたい人」「チーム運営者」「グラウンド管理者」を繋ぐアプリを提供します
Tokyo Hockey Verein 設立
社会人ホッケーチーム Tokyo Hockey Vereinを設立
「高強度」「短時間」「低頻度」トレーニングを実践しています
社会人リーグ連勝記録
12戦12勝
2024年は5試合を終えて76得点
1失点で関東3部リーグを首位で
走っています
開催している練習会の種類
上級者、未経験者/初心者、中高生向けの3種類の練習会を毎週
開催中
誰でもホッケーを楽しめる場所を提供しています
全日本社会人選手権連続出場数
創設年の2023年から2年連続で全日本社会人選手権出場中
2024年は全国初勝利を飾り、全国ベスト16になりました